panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

悲しき熱海----悲しき熱帯ではない


(これは熱海銀座ではない。熱海駅前商店街。ここだけが賑わっている)
  熱海は温帯である。熱帯ではない。しかし悲しいのは、熱帯も温帯も同じなのか。・・・念のため、『悲しき熱帯』は人類学者レヴィ=ストロースの傑作フィールド調査である。南米ブラジルの。
  熱海はよく行くのに中心のほうには足を向けないので、今回歩いた。途中、あろうことか、とんでもない名前の喫茶店があったことは昨日書いた。これ、よく通用しているなあ。だめ押しね。
  ともあれ熱海銀座にはニューハトヤホテルもある。しかるに通りはほぼシャッター街と化していた。愕然としてしまった。老舗のメガネ屋や銀行だけが綺麗で、あとは悲しいほどうらぶれていた。賑わうのは夜だけなのだろうか。スコット(タンシチューの)は一本大通りはさんで向こうだし、こちら側は34,5度の照りつける太陽の下で、パゾリーニのイタリア映画よろしく、真空のように静まり返っていた。
  ペナン島のリゾートのようにマンション、ホテル群が立ち並ぶあたりは別にして、いかにも昭和的な小商いをする街頭は、もう将来性がないのだね。アジアに古い日本を見にいく人はいても、日本でそれを発見してもなんの感動もない、ということだろうか。
  しかし梅干し干しをみた。ラオスの道端でも同じように何かを干していたのを思いだした。でも何かを干すというだけで、何を干していたかを思いだせない場合、これは思いだしたといえるのだろうか。・・・ますます認知の昭和、頭のシャッター街が我輩の場合も跋扈(ばっこ)しだしたようである。

  なお熱海銀座にはスルガ銀行だの静岡中央銀行だの静岡の銀行がでばっている。静岡はここまで来てるのかと思った瞬間、熱海が温帯であると同時に静岡であることを思いだした。・・・ますます認知の昭和、頭のシャッター街が我輩の、、、、、、、、、、、、、、。