panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

二人のフィオッコ


  仕事を終え帰りバタンキュー。しかる後、その仕事の延長にかかる。うーん。時間がないのに公平(イクイティ)の原理が重くこしひかり、じゃなく、のしかかり、重苦しい気持ちになる。一歩前進二歩後退。美保全身志保交替。と意味のないことをして、腱鞘炎は改善しない。
  ベト君のヴァイオリンソナタ集をやめて(ここずっと聴いていたわけだが)、届いたフィオッコの宗教曲ラメンタシオンを聴き始める。フィオッコには二人いる。ジョゼフ・ヘクター(1703−41)とピエトロ・アントニオ(1653−1714)。我輩がいいと思ったのは前者だが、まだCDではピエトロまで来ていない。このCDでは二人がフィーチャーされているのである。主役はジョゼフ(ヨゼフ?)。とにかく彼のは、すばらしい。そして彼がまだ37か8で亡くなっていることにも気づく。うーん。
  夭折した音楽家のリストを一時つくったのだが、どこ行った?そこにジョゼフの名前を書き入れないと。前に書き入れたのはフランスのルクーだった。まだ25前に亡くなっているはず。24くらい?これが記録だが、フィオッコのあふれんばかりの叙情的旋律、その透明感は圧倒的だ。例のクラヴサンも単純に書かれているようで、滋味あふれる作品であった。
  HMVでは少ないが、Amazonでは多数の作品があるようである。フィオッコを少し収集することにする。
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  このCDの説明文を発見。「作曲者には失礼ですが、仮にこのミサ曲がもっと有名な人物によって書かれたなら、それだけで演奏回数が増える筈。それ位、曲の実質は優れています。前奏なく、いきなり歌詞で始まるキリエの快活な冒頭と、悲痛な表情に満ちた2を聴いただけで、もっと先に進みたくなり、グローリアやクレドの合唱曲の充実ぶりには驚くのみです。ヴェネチア出身の作曲家を父にもつ息子フィオッコは、ブリュッセルを中心に18世紀前半に活躍。イタリア、フランス、フランドルの音楽がバランスよく同居する作風がよくわかります。今日のベルギーの演奏家たちの演奏も素晴らしく、特に合唱団はベスト・フォームにあります。」
  二人は親子であったわけだ。しかもイタリア人の血をひきながら、ブリュッセルで活躍というわけなのだがら、ルネサンスの時代が逆転してオランダ人たちの音楽的覇権が終わり、イタリアの時代となったバロックと前古典派の時代にオランダに進出したということであるね。
  ぜひこの荘厳ミサ曲は聴かねばなるまいて。のー、大黒屋。