panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

スコールのなかの東京、午後3時


  長いことミャンマーについて聴取を行った(?)。傾聴に値する国である。ミャンマー
  ミャンマーは長く閉ざされた国であった。それが、民主化という名のスコールのような開国の嵐を浴びている最中である。でもその民主化はかつての近代化のような平板な上向きの坂道ではない。むしろ愚弄張る化(グローバル化)という恐ろしげで一寸先の見えない下り坂の坂道にあるかもしれない。
  ともあれそういうことを感じたのだが、自分の部屋に戻ると、外はご覧のようにスコール。もう亜熱帯化した東京では、かつてはうれしかった雷も夕立も、すでにスコールと化してしまった。ここがすでに東南ああアジアの始まりなのである。
  ちなみにバガンの気球だが、10万円もするらしい。探せば5万円もあるだろうが、ばばばばばばばばばばばばばばばばば、ばか!バカ打開、いやバカ高いではないか。
  ほんとはこの気球に乗ろうと思っていた我輩の前途を挫くように、スコールはいぜん止まない。・・・人間、正直に生きたいものであるね。


  雷がここぞとばかり唸っている。こういうときはクラシックが聴ける。フィオッコのクラヴサンが心地よい。暗い大気がクラシックの母であるね。あまりの旋律ゆえにもっと調べようかと思うくらいだ。フィオッコ、、、でも名前がなあ。トリンドルとかダレノガレとか、もう常軌を逸しているように思われるのだが。ふふふ。
  といっている間にこうなってしまった。バンコクか?バンコク化?