panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

何のための援助?ーーー一昨日書いたものを復活


  戦後日本のした最大の援助は、フィリピンに対してだった。相当の額を費やしたと思う。・・・で、これかい? 何のためにどういう心づもりで援助したのだろうか。罪悪感以外に、この国の何に期待したのだろうか、という印象がむくむく湧いてくる。これほど近代化もし、かつ、悲惨なほど幼児が物乞いしている低開発の国とは、どういう国なのか? おいおい、と聞いてみたくなる。ほいほい、でもいいが、それでは答えてくれそうもない、、、。やいやい、でも、、、、、。って、もういいかな? 時間がないので。
  そうした素朴な疑問は誰でも感じるだろう。これほど対照性の著しい都市も珍しい。同じ通りの斜め向かいには、『歩き方』でホテル項目の最初に掲載されている高層のパンパシフィック・ホテルがある。同じ通りを右に10メートル行って左折するとすぐあるのが、ハイアットだ。どちらも高級ホテルのおなじページにある。つまりホステル1632はロケーションは抜群なのだ。それはどうでもいいが、周りはそういう子供やその長じたものや、そのさらに長じたものによって、要するに貧困と不潔さで溢れかえっているのだ。日本ではちょっち考えられない光景だし、バンコクだとオリエンタルホテルの付近くらいではないか、こういうのは。
  お子様が真剣に、あまりに、次々、狂おしく、かわいげに、寄ってくるので、もう何十ペソもあげてしまった。100ペソで190円だから、ま、額は低い。でも失敗感は大きく、しかしやらないでいるとまた、罪悪感も大きくなる。あー、苦しい。これは、いつも、アジアに来て失敗したなあと思う点である。毎回毎回。あほか。我輩。
  しかし大人もしつこく追ってくる。日本の今の若い人の、あのうつろな視線をものともしないところは、逆に相当に見事といえよう。じゃね? ある意味見習いたいが、彼らもきっと、心の底では深く傷ついてもいるのかもしれない。年がら年中やってるから慣れてはいても、そこは人間だから。うーん、人間なはずだが。・・・それらを、あれやこれや千田是也思うと、ますます嫌―な気分になって一人、寒さも寒し(部屋は寒いくらいだ。クーラーは切っている。日本の室内とは比べ物にならない天井の高さなのである)の自室で、ますます嫌―な気分に襲われていく我輩なのであった。・・・だからビールくらい、いいでしょ? ちょっち飲ませてもらっても。って弁解かい?いや、弁解の回。じゃなくて、、、。