panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

隠者の国朝鮮

  
(グリフィス)
  フルベッキ、ヘボン、モース、ハーンというのは明治初期の外国人教師・宣教者たちだが、ウィリアム・グリフィスも同じ。ヘボン式ローマ字のヘボンについての本も翻訳されている。フルベッキについても書いてる。古便器ではない。そういうことを云ってはいけない。古いミッション系教育機関(その後大学)の神学教員でもあったんだからその卒業背生が怒る。でも・・・誰がいまどきフルベッキやヘボンなんて知ってるのか。その訳があるというんだからまたすごい。というかこの時代のものはかなり本がある。近代日本の創成期である。・・・我輩はたまたまヘボンの顔は知っている。たまたま?
  ただしグリフィスはよく知らなかった。その有名な本に『隠者の国』がある。アメリカ最初の朝鮮論なのでアメリカでは有名らしい。隠者はハーミット。昔、この名のついた音楽のグループがあった。思いだせないが、ヒットした。アメリカのだが。でアメリカでは朝鮮=隠者の国と記憶されてきたらしい。
  いろんな朝鮮関係の本にグリフィスは引用されているが、両班制の下で労働を軽蔑し平等観念のない朝鮮末期の状況はまことにひどい。この本の翻訳はないので、原本を探したら、あろうことか我輩のところの図書館にあった。縮めていえば、あろうことかあった。ふふふ。それはどうでもよいが、後知恵でいえば、あって当然。はじめからここで調べればよかった。どうもフィリピンへもっていくには貴重な本らしいので、帰国後に読むとして、朝鮮関係の他のブログからちょっとだけ引用すると、、、

  「朝鮮の建築はきわめて原始的な状態にある。城郭、要塞、寺院、修道院および公共建築は、日本や中国の壮麗さにまるで及ばない。この国は古い歴史を誇っているのに、石造の遺跡がほとんどない。住居は瓦葺きか藁葺きで、ほとんど例外なく一階建てである。小都市では規則的な通りに配置されておらず、あちこちに散在している。大都市や首都でも、通りは狭くて曲がりくねっている」。
  「約85パーセントの人々は読むことも書くこともできない。ただし地域差は大きい」。

  これは我輩の考える当時の朝鮮の姿と重なる。我輩が朝鮮関係の本から得る印象ではこれはその通りなのである。征韓論もこうしたところから出てくる。・・・というか朝鮮への関心は我輩にはないが、あるとしたら、それはなぜ開国まもなく征韓論が出てくるかということにあった。これは大学院の最初のころに感じた疑問。高校で日本史をまったくさぼっていたので、わからず、たまに考えていたのである。結局、朝鮮は自力で近代化できないという日本側の状況判断がロシアなどの国際情勢への憂慮と結びついて生まれた発想なのだろう。それにしても西郷が下野するわけだから、日本政治の軌跡を大きく変えることになったわけで、朝鮮にはいまも昔も面倒をかけられるのである。