panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

鳳蘭の焼きそば(1)

  
  実家に滞在中、もうレンタカーを返却していたのでバスと市電を乗り継いで、函館の大門広小路にあるラーメン店、鳳蘭に行った。
  もともとは帰りの切符を買うため駅に行く必要があったからだが(当然切符はなかった。鉄道旅行は人気なんだね。失念失念)、松風町の交差点をみたくて駅から少し戻った。交差点のあたりがかつては繁栄の中心点であった。がもう見る影はまったくない。というか観光客には絶対みせたくない。というより観光客はここがかつてのどういうところかを想像するよすがもないと思う。それほどに完全なる失墜である。イカロス以下である。
  レコードの玉光堂(南東)も森文化堂書店(南西)も函館バス営業所・銀行(北東)も確か喫茶店の美鈴だったと思うがそれ(北西)もなく(もし美鈴だとすれば駅方面に移転)、交差点の4方向すべてが廃墟と化している。建物はあるが、不気味なまでに閉まっているのである。しまった!などと冗談にもいえない文化的崩壊ぶりである。
  函バスと銀行のあったところには、全国的にはやりのチェーン店薬局があり、当然にその前は広い駐車場となっている。つまりかつては街一番の繁華街に車で来い!ということなのである。なんだこれは?このありさまは?。結局地上げが全国的には最後に訪れた地、函館では、地上げされたところが虫食い状態で更地となり、そしてそれが20年たつ間に駐車場となるか、更地にならなかっこところはそのまま廃墟となるかの二者択一しかなかったということなのである。あ、駐車場もね(駐車場というのはもう土地の有効活用を考えない凡庸の極みで、実に不愉快だ・・・でも我輩にも土地があれば考えるのが面倒だから駐車場にして儲けようとは思うのである。ふふふ。土地がないことが結局、腹立たしいのであるか?、、、でも儲かるのか。あたりには人がいないではないか?)。・・・呆然自失。昼間にこの辺にくること自体がなくなっていたということもあり、知らなかった自分にも非はあるが、これはもう街ではない。村である。あるいはアメリカの郊外。
  傷心以上の気落ちした気持ちで、鳳蘭にむかった。しかしここにも内面のドラマがあったわけで、個人的には一番気に入っていたラーメン店がなくなっていた(店名は味についてはその店に毀誉褒貶があるので書かない。でも松風町ではそこが一番好きだった)。ここもかあ。そこでまさかの二番手は?と思い、あわててここに入ったわけである。あったこと自体を喜びとする悲しみ。
  さて迷った末、瞬時に、注文はただのラーメンにした。塩ではない。函館ラーメンは正統な中華麵の直系である。「いわゆる塩」しかラーメンではない。それがラーメンである以上、塩ラーメンというのは存在しない。美しい美人というがごとき同語反復だからである。だから東京ラーメンの醤油味は我輩には邪道である。うまいものもあるが、基本は実にまずいと思う。そもそもああいう風に薄めた醤油はどうやってもうまくはならない。ともあれ、食べた。550円。問題は翌日である。−−−続くぜ。(外はマンションの夏祭で、これも村的で腹立たしい。ずっと、ニュアンスのない民謡が繰返しかかる。大音量で聞く日本の古典的フォークソングは申し訳ないが神経に触る。今日はもっと書くぞー、とは思うが、そのことでもう大分疲れてしまった)