panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ヴェトナム本を発見した朝、若干の数値を記し終わる・・・か?

  朝、家のアジア本の集まったところでハノイやヴェトナムの本を結構見つけた。アジア本は、タイに行く前に大量に買い集め、読めるだけ読んだが、何か事前的緊張もあって、読んでいなかったものがあった(事前的緊張とは、試験前には面白くない国語の本がしばらくすると面白く読めるようなそういう緊張)。アジア本はアジアに関しては知りうる限りにおいては十分分かったつもりになったのでタイ帰国後大幅に整理され、かなり肩身の狭い場所に押し込まれることになった。一見さっと分かるようには置いていなかったのである。だからハノイの本もあったとは知らなかった。これから折に応じて読んでいこう。回顧読書であるね。
  今も驚くが、タイバーツは1円0.390バーツ、ドンは1円270ドンとパソコン上ではなっている(随時表示されるパソコン横のガゼットの値)。タイではパソコンからはかなり低い値で両替された。そういうものだと思っていたのである。しかしそういえば、タイ人は悪辣な連中が多くて、両替で騙されることも少なくない。その点、一部のタクシーを除いて、ヴェトナムでチートされることはない。実に気持ちがいい。チップもない。あれは確実に階級社会と資本主義のハーフだからね。不愉快である。ともあれヴェトナムでは1円271ドンで替えてもらった。これには驚いた。儲けはあるのか。逆にいえば、タイの両替はいい商売をしていたんだろうなあ、ちちちちちちちち、ちき、ちき、チキチキバンバン(期待を裏切ってすまんね)。
  両替したのは18000円。大の大人が1週間いたのだから、笑える(同行者はもっと少ない)。ただしツアー2件と若干の土産類はカードを使った。ヴェトナムでカードを使うのは危険ということもあるので使う店は選んだが、そもそも使えるような店にはあまり行かなかった。シルク製品の店など一度も入らないのであった。
  ホテル代は一人14000円(6泊)。ホテルの部屋を1ランク上にしたので静かで浴室も何もかも快適だった。日本なら一泊分か。ミニホテルとしては歴史もあり、これでも高い方ではないかと思う。少なくともHotelclubというところ(ではなく、そうそうそこは満杯で、Agodaにした)の値段ではまずまずであった。勿論、ソフィテルなんかと比べているわけではない。ハノイは小さい街なので高級ホテルでも割合中心部にあるが、面白いのは明らかにミニホテルだ。旧市街のなかに雑然としてあるホテルで、エントランスを出ればそこに日本では絶対にないアジアの世界が直に広がっているのだから、わざわざタクシーに乗ってやってくる手間が省ける。なお、防犯上も安全だと思う。これは断言しておきたい。ふふふ。
  飛行機代はこの時期だし、これくらいだろう。とくには値段を記さない。普通だ。アジア内で動くのではないし、この点が日本の欠点だ。が、ヴェトナムはそれほど安いというわけではないというのが印象。ホーチミン便なら安いのかも。バンコク便が安いように。流通の問題ですね。ヴェトナムエアがもっといい機を使っているかと思ったが、それは期待外れ。ま、タイからもヴェトナムエアで帰ったのであるが、ホーチミン便はもっと広かった印象があるけど。
  しかし飛行機代が高いところ=場所にあるというのが、何より日本の歴史的強みであり、独自性であってみれば、その点がネックであるが、我慢しなければならない。もっと近ければ、中国の一部になっているか、朝鮮のような国になっていただろう。あるいはヴェトナム。ヴェトナムの面白みは、そうなれば感じられないだろう。我々がヴェトナム人なのだから。きっと大半は生涯に一度も海外旅行にでかけることもかなわず、そもそも近代では欧米の植民地になって圧制を受けていただろう。もう一つのアジアになった日本は想像できないが、それが第一義的には地理に負っていると思うと、地政学的な配置の妙にいまさらながら圧倒される。
  アジアは確かにいろいろな点で羨ましい。しかしあの厳しい(強いられた?)生き方は、欧米の今日のネオリベとは別の形の(歴史の古い)新自由主義的なものにも思える。我輩にはそれが成熟した文明のあり方とはどうしても思えない。欧米の神経症的な競争社会ははなから気に入らないが、アジア的な素朴競争社会もやはり性に合わない。前者は階級遺制が、後者は身分遺制がそれ自体大問題であるとしても、他方で競争を抑制し、ある種ののんびりした生活を一部につくりだすが、現今の日本がもっと嫌いかも知れないのは純粋競争社会の呵責なさだ。しかもいい人ぶりも競争されなければならない、この複雑さ。それが競争を抑制するならまだしも。
  かくして、我儘とは思えぬ自分なのであるが、いつまでも彷徨は終わらないように思うのであった。しかし閑話休題! 仕事のほうにシフトして行こう。グッバイ。かくてヴェトナム二人旅は終わるのであった。同行者その他の皆さん、ありがとうごぜえましただ。