panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

モン・トライヴァル・ヴィレッジ------第2弾でしょうか

  
  8月ですね。東京はやはり地獄の8月ですか。当地はむしろ快適です。気温よりも、バンコクの問題は排ガスです。大気汚染です。13日の金曜日みたいなマスクをしたバスの運転手を発見。夜には絶対乗りたくない。 
  さてチェンマイ最初のツアーは、ステープス山(ドイ)の寺からチェンマイを一望するというものだった。もっとも一般的なツアーである。これには、さらに奥に分け入り、モン族村を見学することも含まれていた。モン族には日本語で書くとモンになってしまう別々の少数民族がある。チェンマイは中国系の多いところで、あるときもらった中国語案内図が大変よくできている。すべて漢字に変換してあるのもいい。チェンマイは清邁なのかあ(タイ語では新都)。地球の歩き方の地図は今一つだし、ホテルなんかの配布ものもよくない。感心し脅威も感じながら、以後それをもって歩いたが、そこには苗族村とある。そっちの方か。よくBSテレビでやってる苗族にとうとう会える。
  曇空の下、土曜の午後のやるせなさのような雰囲気をたたえつつ(行ったのは火曜日)、苗族は活動していた。顔は、うーーーん、同じじゃね?。我々でね?。40年前には確実にあった田舎の風景。家もトイレも。鶏も木々も。子供もあんちゃんも。すべてが既知の世界だ。云っても無駄だから名前は秘すが、あの集落(古部)とあの集落(尾札部)とあの集落(藤城)をたして3で割ると、これだ。って書いてるじゃん?。懐かしく、いとおしくもある。でもパラボナアンテナで衛星放送見てるんだね、そこが違う。あ、おばさんも携帯でおしゃべりですか。いいですなあ。でも、バイクの少年、やめなさい。二人乗りじゃなくて、バイクをだよ。
  寺の方も一望もあまり関心しなかった。雨がちだったから?。ただ、苗族。爆走するマイクロバスで狭い道をむかった少数民族の村は、やはり、ここまでは敵も侵入しないだろう辺鄙なところにあった。こうやって逃げてきたんだなあ。ここはまだましで、もっと深く分け入ったところにも人はいる。首長族はもっとさきだ。感傷的な気分になった。
  村と民族衣装。