panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

津山登志子、亡くなる。69歳、マレーシアの病院にて。

    またまたブログを書くのを忘れていた。それほど体力気力、ともに消えていたのであろうか。

    ところがさっき津山登志子が亡くなったという小さい記事をみつけた。まさかと思ったが、マレーシアで持病があったようである。

    石立一家の欠かせぬ一員、70年代日本都会派コメディの不可欠の女優だった。

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津山登志子さん死去 マレーシアで、69歳 角川博の元妻

 女優の津山登志子(つやま・としこ)さんが12日夜、マレーシアの病院で死去していたことが15日、分かった。69歳。東京都出身。

 津山さんの所属事務所によると、津山さんは昨年8月、持病が突然、再発して具合が悪くなり、10月まで入院。今年2月上旬、娘が在住しているマレーシアに移った。

 病状が回復せず、マレーシアで再び入院していたが、病院で亡くなっているのが見つかった。血栓により心臓発作を起こしたのが死因だという。

 津山さんは1954年生まれ。「りぼん」のモデルを経て劇団若草に入団し、70年にドラマ「泣かないで!かあちゃん」でデビューした。主な出演作にNHK大河ドラマ春日局」、同連続テレビ小説「虹」、ドラマ「天下御免」、「七瀬ふたたび」、「気になる嫁さん」、「気まぐれ天使」、「刑事くん」、映画「犬笛」、「十九歳の地図」などがある。40代で発表した写真集や、60代で挑戦したグラビアも話題となった。

 近年も「孤独のグルメ Season9」(21年)などに出演。昨年8月まで仕事をしており、その時のNHKドラマ「今度生まれたら」(22年)が遺作となった。

 私生活では津山登志子さん死去 マレーシアで、69歳 角川博の元妻/芸能/デイリースポーツ online (daily.co.jp)歌手・角川博と80年に結婚。娘をもうけたが、96年に離婚している。

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    まことに残念である。すっかり忘れていたが、角川博と結婚していたんだった。離婚していたともこれでわかる。娘さんがいたのであるね。娘のところで死んだのか。最後まで活躍していたようでもあり、それがうれしい。

 

また忘れていた

    またブログを忘れていた。

    最近アマゾンプライムビデオで、というか最近なのかどうかもわからないが、少なくとも発見したのは最近だが、石立鉄男のユニオン映画制作のラブコメというかホームドラマがずいぶんみられるようになっているので、「雑居時代」の原型、つまりそのリメイクが「雑居時代」なのだが、この「おひかえあそばせ」や、下町を舞台にした(雑居時代などは上層中産階級の家が舞台)「パパと呼ばないで」などをざーと、見るのではなく、流している。机の左を向くと、そこに立ち上がるのは石立鉄男アワーというわけである。というより、常時、声が響いているわけだが。

    それにしても、脚本の松木ひろし、企画の小坂敬、音楽の大野雄二などユニオン映画という会社の1970年代のテレビドラマは、都会派コメディの傑作ぞろいである。とはいえ、「水もれ甲介」やパパと呼ばないのような泥臭い土地柄のものもある。そういうのは我輩は敬遠してあまりみなかったという感じだが、都会派といっても当時の東京は光化学スモッグと高度成長で、すさんだ感じの街であり、こんなのをみて東京は素敵だと思う地方の人間がいたのだろうか。

    ただただドラマづくりのセンスが、現実の日本というか東京レベルをこえていて、その非現実的な、つまりはありえない現実の幻想を振りまくことになったという印象である。ともあれ、いまの人がみれば、どれも貧乏くさく、かつ主人公の石立の男臭さも、敬遠気味だろう。そして女のくせに、とか男のくせにとか、そんなセリフがほいほい出てくる時代でもあった。やはりドラマの細部に当時のあり方が露呈し、それが全体としてのシティポップ的なおしゃれ感によって覆われているという薄皮饅頭的な風俗ドラマであるように思える。

    いずれにしても我輩の高校大学と重なり、何となく最後まで石立については嫌いにならないというわけなのである。昭和40年代もしくは1970年代の大スター、石立鉄男のテレビドラマの簡単な表なんかを作成してみる日曜日である。

今日は二人、読者を増やす

    今日は仕事日なのだが、各レベル(?)で一人ずつコロナが出ていて、その結果、このブログの存在を知らせる。内緒ではないが、ごく少数を相手に書いているので、身内的なものしかこのブログは知らない。

    ということで、二人読者が増えたが、果たして今後、二人がこのブログの読者でありつづけるかはもちろん不明である。

    そういえば、この写真のように、昔は玄関がこんな状態で、しかもこのマスクはある種の記号で、ハッカー集団の一員であるらしい。とはいえ、ただ置くところがないので、玄関先に置いておいただけなのだが。

  うーん、疲れた。眠たいが、一昨日からまたこのブログを復活させたので、何か書こうというわけである。無内容で無用で申し訳ない。いいかえると、我輩としては、昨日の大発見は、内容豊かで有用と思っているわけだということでもある。ふふふ。

石立鉄男は菅田将暉に表情がよく似ている、という大発見

    ちょうど13話という半分まできて、気づいたことがある。石立鉄男が誰かに似ているということである。顔かたちというのではなく、動く表情と一個一個の顔を構成する部分が似ている。かなり似ているといっていいのではないか。

    意外すぎる対比と類似だが、一度石立の百面相的な自在な顔芸をごらんになって、判断いただきたい。

伝説の雑居時代、知らないうちにアマゾンプライムビデオに登場

     沈滞著しい日々を送っているが、一昨日くらいに、プライムビデオで雑居時代があがっていることに気づき、見ている土曜日。

    前にCSで全編26話やっていたのでかなりを録画したが、テレビでは見直すことがなかなかできない。改めてパソコン上で見ていると、いろいろ細部までスーと頭に入り、きわめて感動的である。それもあって、ブログを思い出した。

    そもそもブログにどうやってはいるかすら忘れていて、そうしたパスワード類を乱雑に記録したものを立ち上げて、なんとか入ることができた。うーむ。忘れはしないと思っているものほど、ついには忘れる。老化であろうか。過労であろうか。やはりどうかと思う。

    ともあれ、人によると、ホームドラマ史上のトップともいうべきこの雑居時代は、やはり「おひかえあそばせ」のリメイクで、大原麗子宮本信子のもともとは役だった。大変わりである。富士真奈美大坂志郎などはそのままである。

    山口いづみが主題歌を歌っていて、いまでも傑作である。大野雄二が作曲で、大野雄二は大作曲家という認知がいまではあるのではないかと思うが、もう少しさらに知られてほしい。シティポップ的な洒脱な音楽をテレビを通じて、あたかもそれがスタンダードな日本的現象のように喧伝した人物だが、実際の日本は彼に遠く及ばず、いぜん大野的なるものは一種の地平線だと思える。

    ちなみに前から気になっていたが、名前が貧弱なので、注意しなかったが、というのも我輩はただのテレビ視聴者にすぎないわけで、そこまで気が回らなかったからなのだが、松木ひろしというこの脚本家は「七人の孫」の脚本家でもあったようで、その後の作品をウィキでみると、まさにこの人に(テレビで世界に開かれた)我輩(たち)は、かなりの恩恵を負っていることに今更ながら気づかされた。

    近年の浪花節的なトレンディドラマ(形容矛盾じゃね、これって)の日本的堕落ぶりを、コロナでプライムビデオをよく見るようになった我輩は打ちのめされるように知ったのだが、それは当初のテレビドラマの水準を徹底的に裏切る形で、堕落が進行していたということを意味するものだということを確認しもした。

    ともあれ、1973年の26話とは、74年3月にむけて、73年後期に放映されたということであろうから、大学受験を控えてこのテレビドラマに心底打ち込んでいたような我輩はやはりバカだったんだろうなあ。受かったからよかったものの。ああ、しんど。

    Amazon.co.jp: 雑居時代を観る | Prime Video

 

 

 

かくも長き不在

 

    ようやくパスワードを思い出して、半年以上ぶりに書いてみた。

 

    いやはや。でも去年の末に一度書いていたことを知る。この間、コロナは終焉せず、第7派はもっとも激しく感染者を出している。

     そういう事情をものともせず、昨日の日曜日は果敢に外出した。何年ぶりといった感じだが、秋葉原で旧万世橋駅舎の2階にある喫茶プラチナフィッシュで、両脇を走る電車をしばらく眺めてきた。そのうちに鉄道オタクにでもなるか。

すっかり遠ざかってしまった

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    (ちみなにこの絵は私の自宅ではない)

    今日は2021年の最後の月の最初の日である。

    すっかり忘れていたブログだが、先月は多忙であって、多忙であるために時々思いだしていたのである。次の1日には書かないとと。ということで、きちんとブログに対峙する今日なのである。

    でも書くことはあまりない。結局、行動が伴わないと感受性や思考も活性化しないのである。ということに気づく。ともあれ、先週は名古屋に出かけ久しぶりに気分が晴れた。たまにはいまあるところのものから離れることが絶対的に必要だという平凡な結論を述べて、終わりにしよう。

また仕事である

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    また仕事の季節である。今日からということになるが、昔に比べると、とても早い。もっと月末近くだった感じだから、昔は。

    函館の大森海岸。啄木が一握の砂を読んだよりきっと少し北の方の喫茶カサノバから、恵山方面を眺める。短期帰省した函館では昼夜、食事づくりで疲弊してしまった。ま、仕方ないか。今回はここだけしか喫茶店はいかなかった。

 

果てしない愚鈍

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    コロナ禍対策のおそらくは失敗、アフガン撤退に際してのアフガニスタン協力民間人救済の明らかな失敗、そして菅なき後の自民党総裁候補選びにおける軍事・外交関係の議論の停滞などをみていると、軍隊や諜報機関など国家の暴力装置面へのイデオロギー的拒否反応が依然、現在と将来の日本の非常事態対策を有効なものにしないだろうということがわかる。ひどぐね。