panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

あくまで娯楽である


  仕事のあと帰宅して自宅で先日書いた管理組合ニュースの最終版を仕上げる。家でもこんな仕事をするとは思わなかった。ニュースの書体をいろいろ試す。そのために何枚か試し刷りをする。老境にはいりつつある理事代理人(要するに主婦たち)が見にくいというからである。ニュースを読んでいたのかとこっちはびっくりするが。だから書体のポイントからなにからいろいろ試すこになるのである。あ、しんど。震度5。
  これはしかし娯楽ではない。仕事である。届いたローラ殺人事件は代表的なフィルム・ノワールである。曲が有名だから誰でも一度は聴いている。豪華なアメリカというここ一番にかかる曲ではないか思う。
  ポキは勉強のためにこの映画をみるが、その勉強の全体はしかし娯楽である。ただ人生には娯楽は必要だし、かつては娯楽こそが人生だった。ただし王侯貴族にとってはだが。でも、さらにいえば、娯楽ばかりにひたっていると命とりになるが、でも人生に「近代的」な目的がないのだとすれば、人生はやはりそれ自体が娯楽なのである。
  長い、ときにつらい娯楽として人生が与えられたと思うと、ヒトの一生の全体の性格になにかもっとも近づけたような気がして、妙にうれしい。つまり人生のあり方を真剣に考えることもまた娯楽だったということであろうか。・・・あろうなあ。