panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

呆然と生きる


  いま午後4時20分。ウィーン時間、午前8時20分。精神的に疲労して困憊である。拾う紺杯。
  ナイーブがつぶれたという記事をみつけた。昨年のものだった。フランスでヴィヴァルディ・エディション(写真のもその一つ)を出している会社。
  「ねもねも舎」http://www.nemo2sha.com/によれば、フランスではCDを買う人はいないらしい(日本だけだともいうし)。コンサート後の手売りが主な販売方法だとも書いてあった。うーん。ようやくヴィヴァ君に気づいて揃えようとしたのに。
  別の会社が引き継いだようだが、社員は半減したという。
  こうなると洋の東西を問わず、生きていくためには、人は大学に行き、サラリーマンになるしかないということなのであろうか。くっ●ー。あ、ちなみにポキも生計はリーマン的に得ている。さらさら、サラリーマンの気持ちはないが、同じように勤めているわけである。
  一つは文化的なものに人が群がりすぎるからである。皮肉だが。一握りのエリートたちで芸術は成り立つので、猫も杓子も(親の)経済的余裕で芸術なんかに走るからという解釈は、ちょっちトランプ的なのか。でももう少しゲージツカの数が減れば、むしろ経済的に成り立つのでは?でもグローバル化があるので、一国的削減は他国的増大となり、うまくいかないような気もする。グローバル化は問題だなあ。
  このオペラがアマゾンかHMV評によれば、ヴィヴァ君の一番の作とか。うーん。そうなのか。もってはいない。いくつあるのか、ヴィヴァ君。オペラは。一度調べてみたが、その成果をどこにやったのかがわからない。惚けたといわれても仕方がない。・・・しかし写真がなぜ韓国人なのか。韓国人だというのは直感だが、日本人ではないような気がする。中国人なら当たり前すぎる。しかしなぜ東洋人なのか。舞台が中国やカンボジアのもあるのだが、ヴィヴァ君は、そりゃもう、適当に黄金時代のヨーロッパみたいに作曲する。