panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

春めく


  昨日から若干SNS関係ので苦労しているが、いずれにしても当方への連絡は職場で使用しているメールアドレスにお願いしたい。そして電話はそのまま使えるかと思う。でもスマホは電話ではないようであるから、ま、どうでもいいか。若干混乱と困惑のなかにあるが、人とつながることに息苦しさを覚えるという先端世代の人間だったので、ラインがくるとどきっとする。
  ただもう100歳をこえたいまになって振り返ると、息苦しさを覚えるというのはポキの世代的特徴ではなかったような気もする。ただ文系で近代批判を制度として学び、そう考えるべきだと思った人々がそういうふうな意識をもつことを半ば「ファッション」として摂取したということであったのかもしれない。
  いずれにしても近代批判よりは近代随伴が主流であったことは確かなので(でなければ社会はまわっていかない)、一種特権的な形でそういう意識をもつことが許される環境にあったということだったのかもしれない。うーん。何だか苦しい。
  春めいたいい日よりなのだが。居間では窓をあけはなして空気を取り入れている。暖房は必要ない。さんさんと太陽光が入り込んでくるので。しかし話は重い。
  丸山真男朱子学に封建的抑圧をよみこんで江戸時代を、戦前の日本と同値した。他方、江藤淳は正反対で、藤原惺窩や林羅山朱子学は関が原以後の混乱した体制を建て直すための思想にして捨て身の方便とみなした。つまり江藤は江戸初期の朱子学の成立を第二次大戦後の日本の状況に置き換えて理解した。だから二人は真っ向からちがう。
  丸山は朱子学=戦前体制をのりこえる戦後日本の近代主義的世界を展望しようとしたのに対して、江藤はまさに朱子学的課題こそ戦後日本に必要な作業だとみたわけだから。
  もしこの対立が真正の対立なら、社会科学という学問に「科学」性はありうるのだろうか。いまからすれば江藤淳に分がある、という気もする。
  ということは自己批判となって自分にはねかえるのでもう考えるのはよす。明日からしばらくは職場につめるので、今日は閑暇を惜しんで春の到来をまつ。