panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

快晴の5月の週末


  聴いているのは18世紀ヨーロッパ文化というより、人間の文化全体の粋ともいえるソプラノのイタリア・オペラ(19世紀のではない)。でも舛添先生のあとみているのはヤオ族へ赴く遠野凪子。2002年。遠野、まだ普通の感じである。・・・我輩、集中力が切れたもんで、映像を流している。
  それで外を窓からみると(とうとう窓から外が眺められるようになった。本を整理し、本棚を撤去したからである)、夕方の風が吹き、西日もまだきつくない。そういう5月の金曜日なのであった。
  こういうのは、人生の平安であり、幸せの極致というべきなんではないかとうっすら思う。これが東南アジアならもっと解放感があるのだが。東京じゃなあ。ということは云うべきではないか。
  雲南の棚田がすごい。そして途中の道がほとんど絶壁である。これだと我輩は辞退して引き返すことになる。