panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

焦燥感にとらわれる首都圏的夏


  明日はお盆である。函館は7月13日がお盆だが、日本全国は大体8月13日である。
  29年前の日航墜落事件の日、我輩は実家にいた。翌日、家人1が飛行機でやってくることになっていたし、白紙論文、じゃなくて(それは小保方先生じゃね?)、博士論文を書き始める夏で、はっきり、鮮明に、その当時の色や匂いと共に、テレビでこの事件をみていた自分を思いだせる。我輩には9.11より8.12のほうが鮮烈だった。
  だからといって犠牲者を悼んだというより、自分の境遇に引きつけて、何となく他人事だと思ったがゆえに、一層記憶に焼きついているのである。こうした重大な事件も、貧すれば鈍する今の自分には(なぜ貧すれば鈍するのかといえば、学生というか院生時代の最終コーナーでもういい加減、ただ学費を払い続けることに嫌気がさしていたからだ)、同情している暇はないという、云うも悲しい感情をもって眺めていたからである。
  ロンドンから帰って半年実家にいて(指導教官は外国にいたので)、また大学に復帰し、そして夏休みでまた戻っていたわけである。
  しかし考えてみると、我輩はオーバードクターは経験していない。正規の学業年限で就職したのである。だから、それほど苦境や焦りを感じる必要はなかったのである。しかし田舎の大学の学生には一体、日本の、つまり東京の大学の仕組みがどうなっているかわからず、不安感ばかりつのった。だからオーバードクターの心境はある程度理解できるし、理解した限りだとブルブル震えがくるくらいだ。
  正常な人間的感情を保つには何といっても普通の状態?であることが必要だ、ということを人知れず自分にいいきかせる29年前の夏だった。・・・つまりこのとき保守主義の神髄の一端は体得していたのである。
  それはそれとして、首都圏にいるとまったく季節の移ろいが判断できない。自然が遠いのか。まったく夏がいつ来たのか、いつ去るのかについて、うまく把握できない。そもそも厳格な親に急かされて、こんな馬だの牛だのをここではつくっていないからかもしれない。
  それを思うと、伝統というか因習というか、古いものとされているものを踏襲することがいかに人間の基礎をつくるのかということを、それを失ったいまごろになって、悟らされる日々である。・・・それもまた、普通の状態の重要な一部だということであろうか。