panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

落札の弁


  昨夜みごとに我輩はある全集もの?を落札した。その後、出品者との遣り取りがある。家人2は丁寧に返信するようにと厳に我輩をいさめるのであるが、ここでもまた人間関係が浮上するのか。もっとも手っとり早い非人間的な遣り取りかと思うと、出品者も落札者も「評価」の対象になるようなのである。うーん。
  出品者の評価は一歩ゆずって必要だとしても、問題ありの落札者の摘発をめざしたこの評価というやつがあるというのは、いまひとつ不愉快である。かなり丁寧に文章を書いたが、鬱陶しいリア充的な現前の人間関係があるかのようで、我輩のような、そんな関係嫌さにコンクリの塔に逃げ出した人間には、なにか衆人環視の環境の中で無理やりよい子を演じるようで、はっきりいってもう落札はやめようと考えている次第。
  でも一冊をアマゾンで買うよりも安い値段なので、ありがたいような、ありがためいわくのような、、、、。複雑な気持ちである。というか複雑でない気持ち=感情というのもめったにないわけだが。感情はコンプレックスである。
  昔何ものでもなかったころに真空のなかで生きているかのように遠くから錯覚して、長く尊敬の念をささげた評論家、澁澤龍雄先生の写真。でも、、、後年そのそばにいる人たちとめぐり合って、しがらみだらけの仏文学界をかいま見て、うんざりしたのを思いだした。大学が凋落したのは、孤高の象牙の塔なのではなく、そこもまた一種の業界、建築業界とかタクシー業界なんかと同じだと人々が気づいたからではなかろうか。ただし、それらより以下だということまでは、、、?
  いまではパリ(フランス)よりバリ(インドネシア)だと思う。行くならば。
  今日は前期の最終仕事日で、瞼が閉じそうである。もう少し回復したらまた何か書くから。小姑からのメールがある日は戦々恐々だぜ。もほほ。