panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

第一日目から疲労か、、、、、


  昨日から死のロードが始まった。7月までの長いそして蒸し暑くそしてただ単に暑い日本の夏へ向けて、休日もなく働くわけである。そして、申し訳ないが、昨日中に我輩は疲れてしまった。活動力が著しく落ちている。
  今日は職場にやってきたが、我輩の体を心配する人々二人が(しかし必ずしも我輩のことを思うわけではなく)祝杯をあげるらしく、そのために活動量の落ちた我輩は電車でやってきた。飲み会というよりも食会。ステーキを食うのである。・・・うーん。我輩のことを思っているのか、ただ活動量の多い自らの身体を慰撫しようとしているのか。そこは問わないことにする。
  さてそうすると困るのは電車である。あの騒音が、このあのその繊細華麗、絢爛豪華、質素にして疾走する我輩をいたく刺激するのである。かくして家人1から無理やりとりあげて、ソニーウォークマンを耳にさしてやってきた。
  勿論本体をさしているわけではない。ご心配なく。というか心配するな、そんなことで!と小言の一つも云いたくなるが、ま、一人芝居だからね。・・・ブルートゥースというのか音を飛ばしてイヤホンで聴くのである。イヤホンが耳に入っているわけね、いうまでもなく。
  ところがそのイヤホンに音が飛ばない。仕方なくビッグカメラに寄って、聞く。というか何を聞けばいいのかわからないので、あーだこーだといっているうちに、イヤホンのパワー表示の部分を長押しすればスイッチが入るということに気づく。つまり単純に押していただけなので入らなかったにすぎない。
  しかしそんなささいなことで大いに苦しむのが、我輩の世代の苦しい胸の内なのである。理科系とか実験ノートが恋人だとかいうような同世代ならともかく、文系の胸はそうしたわけのわからないことで一杯なのである。どうしてこの電車は動いているのか。なぜマンションは倒壊せず建っているのか。すべてがなぞだ。ありがとう、理系諸君。
  潜在失業者である文系の一員として、とにかく機能し始めたイヤホンでアシュケナージ平均律(バッハ)を聴きながらやってきたのだが(いやしくも傾向と対策の世代なのである、昨夜疲労をおして入れておいた)、なぜか電車のなかでも音がいい。あら?とか思って本体をいじっていると、あーら不思議、これはノイズキャンセリング機能付きなのか。どうりで静かな文明の利器だと思った、この電車。
  ということで夜のステーキ飲み会(食べ会?)までの数時間をある種の小さい文明的制覇を終えて待つ我輩なのであった。アディオス、アミーゴ。