panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

木曽義仲と小保方博士

 
  帰宅後、ようやくニュースで小保方会見を見た。
  いくつか感じたが、改めて、理研の最終報告が、理研という組織の内規からみた論文の限られた側面の評価であって、スタップ現象があったかなかったかという本来の科学的な検証については眼中になかったということに驚きをもった。理研なんて組織の問題はどうでもいいのではないか。未熟と自身でいう研究者が本当にスタップ細胞をつくりだしたのかどうかを中心に学問的検討を行うのが本来の最終報告なのではないか。
  ここからは我輩の邪推であるが、あまりの論文の不整合にあのノーベル理事長が烈火のごとく激怒したに違いない。そこから始まっているようにみえる。ああいうこわい学者が昔の国立大の先生方で、いま思いだしても身震いするくらいである。、、、あ、思いだして損した。
  それでとにかく小保方憎しで、スタップ細胞のことなどどうなってもいいくらいになってあら捜しをしたというふうにしか理研はみえない。共同研究者たちも小保方的未熟さに愕然としたとしても、200回以上作成したという事実は小保方博士から聞いているだろうから、それを完全に無視して、研究成果の検証でなく、研究者の資質と倫理を問うて葬るというのは、まったく人倫にもとるのではないか。だから学者は、、、とか云われるのでは?心配。
  そもそもそれほどに画期的発見だったわけなのだから、そういう何百年かの常識を破るような研究を行う人間が均整のとれた人格者なわけはない。未熟だから発見できたとすらいえよう。だからその未熟さで裏切られたとしても共同研究者たちがやるべきことは、論文作成上の致命的瑕疵(かし)を数え上げることではなく、にもかかわらずスタップ現象が存在する(あるいはしない)ということを証明することなのではなかったろうか。
  昨日までは小保方的捏造に傾いていた我輩であるが、今日は、まるで京の街で孤立する木曽義仲のようなものなのではないかと小保方博士のことを考えるようになった。
  平家物語の真の主人公は木曽義仲である。いやらしい京都の公家のなかで依怙地になり疎外されていく「ゲンバ男子」木曽義仲
  ちなみに吾妻鏡の影の主人公は畠山重忠である。戦前、武士の鏡といえば重忠をおいてほかになかった。武士といえば重忠、重忠といえば武士の鏡なのである。
  敗者が本当の主人公であるような物語の伝統をもつ国で、もう一人の木曽義仲畠山重忠が生まれようとしているのか。真相はどこにあるのだろうか。心配である。