panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ミャンマーといえばアーロン収容所


  昨夜はミャンマーのホテルのことで一揉めあって、ま、笑ったり泣いたり、一週間で一番天変地異の激しい一夜であった。ま、それとはそれとして。
  ミャンマーといえば、会田雄次先生ではないか。思いだし、少し本を読んだ。イギリスの収容所イン・ビルマでの西洋史家の体験である。でも今朝は書くのが面倒なので、あるブログを引用。
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  会田雄次氏はその著書「アーロン収容所」の前文に、捕虜生活においてイギリス人については下記のように感じたと書いている。
 <この経験は異常なものであった。 (略) 私たちも終戦になったとき、これからどういうことになるだろうかと、戦友たちと想像しあった。ところが実際に経験したその捕虜生活は、およそ想像とかかけちがったものだったのである。
 想像以上にひどいことをされたというわけでもない。よい待遇をうけたというわけでもない。たえずなぐられ蹴られる目にあったというわけでもない。私刑的な仕返しをうけたというわけでもない。それでいて私たちは、私たちといっていけなければ、すくなくとも私は、英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反応と憎悪を抱いて帰ってきたのである。異常な、といったのはそのことである。(略)
 私たちだけが知られざる英軍の、イギリス人の正体を垣間見た気がしてならなかったからである。いや、たしかに、見届けたはずだ。それはおそろしい怪物が、ほとんどの全アジア人を、何百年にわたって支配してきた。そして、そのことが全アジア人のすべての不幸の根源になってきたのだ。(アーロン収容所にみるイギリス人。http://www.tamanegiya.com/a-ronnsyuuyoujyotoigirisuj.html)(詳細は読むか、このブログその他をみること)。
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  ヨーロッパへ行って綺麗ねなんて語るのもよいのだが、この古典的な作品には一度目を通していただきたい。我輩は中韓にも同じ匂いを感じるが、彼らはただ世界を征服していないということなんである。
  日本人がああいう形で第二次世界戦争に追い込まれていくのも、もとはいえば欧米的世界戦略の結果的には一環であるし、そういう戦争をしたから戦後瞬く間に、公式の帝国主義は一掃されたのである。だからイギリスもオランダも日本が憎いわけだ。日本の敗戦こそ、近代500年の欧米支配の代償だったわけである。植民地主義の十字架を背負ったのは日本なのである。
  我輩はイランに対していまも続くアメリカたちの経済封鎖を聞くと身震いする。ABCD包囲網を思いだすからである。それがいかにきついことなのか、何十年か前の日本を想像すると、生々しく感受される。そうではなかろうか。だから簡単に経済制裁とかという現実を人ごとのように報道されるのを聞くたびに、胸がふさぐ思いがするわけなのである。イラン人の日々はいかばかりであろうか。その意味ではよくやってるなあと感嘆の念をもってみているのである。