panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

やや復活

  殴らないでね。外出はしないが、子供の送り迎えはしている。車は慣れた。車のCDをかけてみると、モーツァルトかあ。鈍重かつ頑固なクラシックファンだと思われそうだが、何度も云ってるが、モツ君愛好は年をとってからである。ピアノコンチェルト9番ジュノーム。ピアニストは中国のフー・ツォン。第1楽章の3分10秒くらいからの30秒が絶妙だ。70をすぎたピアニスト。テクニックはそうでもないが、繊細な表情は言葉に表現できない。こういう曲は彼に向いていると思う。傑作だが、初期の作品だ。
  あーあ、帰ってきたわけだ。またこんな生活かあ。微笑も微笑返しもないこの国で暮らすのかあ。とくに我輩の職業では、下品な笑いはあるが、微笑はない。ブログもないから、精神安定には、やはりクラシックだなあ。もっと聞けよ、大学教授、クラシックを。話す相手もいないじゃないか。
  早速、だからアジアに帰りたくなると云ったでしょ、とマレーシアの相棒からメール。ふん、残念だが、そうだなあ。暑いのも短期なら我慢できる。そもそも11月以降のハイシーズンの東南アジア旅は、何か日本人には物足りないように思う。十分暑くないからだ。こちらにはありがたいが、何か寂しいのである。ローシーズンで汗を流す1週間あるいは10日間というのも、いいのだなあと知る。それを知るだけでも半年は必要だった。何事も経験して知ることは多い。大学教授が無教養だとかね。
  昨夜『金子光晴ランボーと会う------マレー・ジャワ紀行』(鈴村和成著、弘文堂、2003年)を読み返す。一回目はマレーシアに行くかも分からなかったので、バトゥパハがどういうところかだけを見ただけだが、今回は、どこも行ったところが多く、興味深かった。でもこの1944年生まれの大学教授・詩人・紀行家の旅はほんとに実りがない。見るものの観察は詩的だが、全体に弱い。ものを知らなすぎる。たとえば円建てのTCをもってアジアいくなんて今どきの人がやることか。どこでも換金できなくてアメリカン・エキスプレスまで行かなくてはならなかった。世界中、何十年も、専門のフランス文学にかこつけて(ランボープルースト)、旅してきた熟練が感じられない。マラッカもクアラルンプールももっと面白いことが書けるよ。鈴村氏はペナンでは我輩のホテルの目の前の豪華ホテルに投宿した。このブログでも我輩のホテルからみた風景をアップしてるが、その写真では左にある高いビルがそのホテル。安ホテルの方がペナンらしいと書いてるが、なら移ったら。我輩たちは白人御用達のゲストハウスに最後は泊まってみた。シーンとした、白人の独特の秩序観みなぎる清潔なGHで、汚いなんてことはまったくなかった。・・・でもジャワの話もある。が肝心のアジアの暑さが感じられないなあ。しつこく書けよ、暑いって。じゃないと温帯の我々は間違った印象を抱いてしまう。
  他方、石井良佳『ベトナム雑貨と暮らす』河出書房新社、2002年も目を通す。きどったヴェトナムだが、知らないものもある。
  ともあれこんなものでも祖国である。頑張るしかあるまい。心身ともに復活しつつある。明日は東京かなあ。
  ペナンにはこんな豪奢な個人の寺もある。ジョディ・フォスターの『王様と私』の舞台にもなったところ。タイではこの映画、依然鑑賞禁止である。王様はラーマ4世だから、彼がイギリス人女性に恋心を抱くわけがないのだ。彼はもともと僧侶として育った禁欲的な王族なのだから。その子が大王チュラロンコンである。