panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

華のルアンパバンを走る


(ワット・シェントーンはもっとも有名な寺院である。しかし地味で、それゆえに感動した。確かにタイの寺に失望した某氏、あなたは正しかった。)
  この一つ前の記事(?)は長い続きを書いたのだが、刺激的かもしれず、別のにする。
  自転車を借りて街をほぼ走り、地理は把握した。大きな一本の道が中心である。その南北に一本ずつ通りがある。それぞれメコン川とナムカーン川に面している。寺院も大体見た。一杯あるというのでどんなかと思ったが、そうでもないのでは?。一杯あるのは、ゲストハウスだ。
  夜のレストランは白人だらけで、まだ植民地時代が続いている感じ。フランス人が多い。でも基本は英語人間だから、白人といってもアメリカ人が中心である。やはりアメリカが支配した時代は終わっていないのである。
  午後3時くらいには人の姿がなく、ひっそりしている。ホテルで休んでいるのだろうか。我輩は山に登って、また恐怖に震えながら、LPの姿を眺めていた。これはいいのだが、木々を少し刈ったほうがいいなあ。で、高いもの見たさという言葉を考えた。アジアはどこも、あやふやに作られているから、階段も怖いのである。もう高いところはやめよう。背の高い人間と話すのもやめよう。喉がつかれるから。って高所恐怖症とは関係ないか。
  何か力がないでしょう、このブログ。力作だったからね、前記事は。でもちょっとなあ。ま、気を取り直して、夜はナイトバザールがあり、行った。でもこういうので買えたことはない。どこでも。暗い光が寂しげで、気が滅入る。同じものを売って、一体だれが買うのか。買うところを見るのは滅多にない。
  食事はイタリアン。ラオスは近代国家ではないので食事はまずいと思う。中華を除いて、旨いと思うことはない。残念だが、仕方ない。コーヒーもヴィエンチャンが旨かった。LPでは場所を選ばないと。
  学識を披露すると、ラオ族のより多くはタイにいる。それがイサーン地方だ。近代と前近代の歴史的経緯でこうなっている。だからイサーン料理はほぼラオス料理である。辛くてしょっぱい。バンコク人でも無理という人がいるようで、我輩はもうタイ料理がダメだから、きっと旨いラオス料理なんだろうが、口に合わないのであるね。黙祷なり。
  8時になるとバザーの人びとも帰り始め、早い幕切れだ。観光のハイシーズンとかいうわりに、人の数が少ない。食堂も白人は一本のビールで粘っているので、これじゃなあ、儲かるのか。やがてどころか、ただちに悲しいラオな夜である。