panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

秋となった

  ぐっと秋ではないか。今日は初日なのに旗日なので、いま一つ意気があがらない感じの日であった。曇だったし。
  『劣化国家』東洋経済新報社、2013年を買って読み出したが、原題が大いなる退化(衰退、変質)という意味で、国家という言葉はない。内容をとると国家という云い方もできるが、ニーアル・ファーガソンの使っている言葉でいえば、制度の衰退である。
  国家については社会科学で独特の意味合い、価値評価があるので、こういうふうな使い方(翻訳)は危険である。国家の劣化というのは大変我輩の意に沿っているのだが、国家をこのような理論的な意味で使うということは英米系の学者の嫌がるところなのだ。
  いつも国家を忌避するのが英米の傾向である。ファーガソンのいう制度も端的に国家といえばもっと刺激的なのだがなあ。
  ともあれこのハーバード大歴史学教授はなぜか評価が高いが、どんなもんだろう。初めて彼がもとはイギリス人だとわかった。結局、英米は二つで一つの国家なんだから、どうでもいいが。カナダとオーストラリアとニュージーランドをいれて、英語連邦国家とか名乗れば、もっと分かりやすくなる。オーストラリアがアジアだと言い張っても、ふふふ、笑わせるもんね。
  しかし4時から一時間ほど机でウトウトしてしまった。ひさしぶりに少ししゃべると、いやに疲れる。

今日は祝日だが仕事である

  今日は我輩の仕事の初日である。といっても来週京都に出張するため、来週の月曜を休みにするということをいうためにやるようなもので、簡単なガイダンスをするだけだが。
  月曜日に仕事を行う人がどんどん減っているのは、こういうことがしばしばあるからで、国民の祝日を無視する一斉強行は、我輩を国民だと思っていない証拠ではないか。ふふふ。それは、、、。
  昨日ようやく夕食を終え、半沢直樹をみていたら、家庭団欒にはふさわしくないから出て行くように言い渡されたが、当然じゃね?こんな番組のどこが面白いのか、呆れてしまった。しかも結論がああだったから(そのときはこっそり忍び込んでいた)、ますます笑ってしまった。喜劇なんじゃないのかなあ、半沢。もうわが家のTVリテラシーを疑ってしまったが、家人も読むこのブログ。このくらいがせいぜいじゃね。ふふふふふふふふふふふふふふふふ、不憫不憫。
  家庭団欒は日本でも崩壊しつつあるのであろうか。