panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

仮設住宅では人は生きることができない

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 (昔のフィリピン本土研修のときの写真。この新しいブログの形式では古い写真も掲載できることを知ったので)

 さてリフォーム疲れという言葉があるのかもしれない。家を新築したら施主が死んでしまったという話はある意味よく聞く。気をつけろと。リフォームで死んだという話は聞かないが、死にかけることはあると思う。

 おりしも千葉の台風被害は国土強靱化を怠ったせいでもあるが、うちも今は居間が仮設住宅状態で、居間でテレビをみ、食事をしていると、なぜかある種の絶望感が襲ってくる。どうももう一人のほうも同じ心境らしく、ポキは昨日など、9時に寝てしまう。でもその結果寝すぎて腰が痛い。いっぱいこういう悪循環を経験しつつある。

 とにかく今の居間その他は一種の仮設住宅であるという仮説で考えると、なぜ仮設住宅で人は容易に死んでいくのか、地震津波そのものの被害より甚大な数がそうやって死んでいく事実を、身をもって体験中である。

 リフォームは台風15号が千葉に上陸した日にはじまった。そして停電が解消されるのは何度かの延長の後、いまは27日にまで達している。つまり3週間だ。そして当方のリフォームも、当初今週木曜日が終わりだったのに、28日(土曜日)までかかると言い渡された。

 営業が大工をやっている変則的な事態に不信の念はあったのだが、台風15号と同じ進路をとるとは思いもしなかった。うーん。先週はほとんど一人で何かやってたもんなあ。どういうこと?

 とにかくゴミ屋敷化した居間にうずくまっていると、悲しみと希望のなさと狭苦しさからくる緊張感とで、仮設住宅死を思う日々なのである。しかも、この間行っていたスーパー銭湯が昨日で休館し、12月まで開かないという。従来プランではもう家の風呂には入れたはずで、とくに問題なかったのだがなあ。・・・絶望感、ゴミのなかから立ち上がり。一句できました。