panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

国民の暗愚化を阻止できるのか

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 峠を越したと思うのだが、いぜん暑い。一歩でも外に出るのが億劫である。というか、駐車場までの何十歩が嫌だということでもある。

 さて人々の暗愚化について朝から考える。居間が新旧の世界史全集で覆われつつある我が家では、なぜ昭和30,40年代のまだ貧しく余裕のなかった日本で普通の家庭に、いろいろな全集本が整えられたのであろうか、ということを考える朝から始まるのである。

 なぜ豊かな社会(なのか、今でも日本は?)で、大卒も人口の半分に達した高学歴社会(なのか、ほんとに?)の日本で、無教養化が進行するのか。わけわからん。

 マンションのサイズが小さいので本を置くと汚くなるという美意識優位の家屋構造に一つの、そして誰も指摘しないので指摘したい一因があるのかとも思うが。本という名のゴミ屋敷になっては困るわけだが。

 写真は誰あろう、ゴルバチョフ。こんなになってしまったんだなあ。すれ違ってもわからんね、きっと。

 そして、大学時代のゼミの一員から何十年ぶりかの連絡が入った。今月か来月会おうというのだが、何を覚えていて何が違うのかをすり合わせると、自分の偏りがわかるかもしれない。そもそもまったく無教養な学生時代だったということが外目から露呈する可能性もあるなあ。自らの暗愚をさとる瞬間がくるのか。