panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

日曜の朝のあまいささやき


中村晃子・細川俊之 あまい囁き 1973 / Paroles,paroles


あまい囁き【訳詞付】- ダリダ & アラン・ドロン

 

 曇天のというか梅雨の日曜の日本の朝である。北海道には梅雨はないから、本州の朝。

 今なら1万円で買えるナチチャコパック1973年版(1972年版は知らなかったのでもう買えない。中古でも出てません)の3枚目を聞く。大体ポキと同学年の連中が封書で送ってくる「お題拝借」(その週のテーマにしたがって文章をつづる)が感動的に面白い。

 内容より、文章力に圧倒される。高3や浪人生が投書している。その文章力がいまからすれば考えられないほどのレベルなのだ。

 この半世紀にこれほどSNSが普及したのに、人の文章力は完全に衰えたということなのか。まったく、スゲーだのヤバイだの、というか、この2語ですべてを云いつくす聖書の怪獣みたいな若人が跋扈するようになるとは、誰も想像できなかったなあ。

 ナチこと野沢那智アラン・ドロンの吹き替えでこの曲を歌っている(しゃべっている)のだけが、この6枚組の昔の放送の録音では、曲として流れるので調べてみると、もうYouTubeでは聴けないようである。細川俊之のがあったが、競演していたからなあ。野沢那智の相手は金井克子のように思えるが、そういう時代だったのである。

 アランドロンの訳詞でみていくと、パロールは要するに言葉だけの男を一貫して難する内容だったことがわかる。あまいささやきというのは間違っていないが、ニュアンスは、もういい加減うんざりということだったことに、何十年もたって、気づいた。

 文章力はあるのだが、探求心が欠けていたということか。ポキの場合は。大ヒットしたのに。それにしても、ささやきが漢字なのか。囁き。どういう言語能力をしていたのか、当時の日本人は。流行歌を買う人々が、これは読める、と判断したんだなあ、売る側は。驚愕というしかない。合掌。

 合掌といえば、これはダリダが自殺するだいぶ前の曲である。その一生を描いた映画は去年だったと思うが、みた。時は過ぎた。自分がそんな歴史の時のなかにいることに、高校時代のアホなポキは気づきもしなかった。・・・やっぱヤバクね?