panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

二年に一度の車検が生む堂々人生

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 昨日は車検で車が戻るまで時間がある。しかし職場に行くのは面倒なので堂々と、2年に一度はこの時期に映画をみる(普通は映画にいくのはもう時間の無駄だという思いがあって、忸怩たる感じがある)。

 今回も例によって(というか最近ここ以外で見たことはないなあ)黄金町のジャックアンドベティ映画館。斉藤由貴が不倫相手の医者と一緒にいった映画館である。今でも階段を降りるとき何故か斉藤由貴になった気分になる。不思議なのは医者の気分にはならないことである。

 アルゼンチン映画でポロニア?ポラニア?(ポーランド)まで70年ぶりにもどるユダヤ人の話である。最後を云ってはいけないのは2017年のことで、もう古い映画だし、いずれにしても涙は出る。

 会場というか館内は結構埋まっていて、相当前に座ることになるのだが、大体は頭が白い。暗殺のオペラではほとんど真っ白なヒトが多かったが、今回はもう少し若そうな客層で、65歳以上といったところか。場合によってはこの映画の主人公の子供という年齢。

 ともあれこういう映画をテレビ録画でみると、ずっと早送りしてしまい、感動しないで終わるので、こういうある意味日本的な映画は激情で、いや劇場でみるほうがいい。でも韓国の慰安婦問題で意味も根拠もなく責められる日本人としては、この映画でユダヤ人虐殺で責められるドイツ人のような立場とは微妙に異なるが、いったんそう思うと映画の見方もやや変わってくる。

 ドイツ人だけが野蛮なのではなく、大体がヨーロッパ人は植民地では同じくらい残虐な殺し方をしてきたわけである。ユダヤ人だけを特権視するなと思う。これは戦後の左翼知識人の典型的な偽善である。でも圧倒的な偽善は素早く正義となって、批判を封じることができる。長いこと、ポキの業界でも、東京裁判史観跋扈でうんざりしてきたなあとかいろいろ思う。

 ともあれ、ご都合主義的なところもあるが、関内まで歩いていって中古CDも久しぶりに買えたし、映画に行って、ま、結構。でも伊勢佐木モールは完全に中国人の町だった。どうもこうも、すでに一本の大通りをこえて、関内にまで進出してくる勢いである。それがすこぶる不気味である。