panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

無情にも時間はすぎる


  聖セシリアの日のためのオード(ヘンデル)を二種類の録音で聴く。一つは最近車におきっぱなしのサンドリーヌ・ピオー、もう一つはチェチリア(セシリア)・バルトリ。後者は前に紹介したソル・ガベッタのチェロが伴奏。全般的によいのは前者か。バルトリも年をとった感じ。声がやや痩せたかもしれない。
  オードとは頌歌(しょうか)のこと。早春賦の賦も同じ意味。あれ、早春賦でよかったか、教科書て習う合唱曲。
  昨日今日と休息をとったので、夜がきて週末になるのが早い。いつもはやく週末よこいという感じなのだが。この一年間は。この一年が例外なのだ。ポキは単調な毎日をゆっくりやるせなく過ごすことに無類の喜びを感じる(あるいは感じたい)単調な人間なのだ。
  今日書いた前のブログのつづきでいえば、怠惰で薄情で単調な人間なのである。おっと、一つもいいところはないなあ。まずい。公開はさしひかえたほうがいいかもしれない。
  とはいえ、今日はすみだトリフォニーホールのスケジュール表を眺めてみる。明後日が聴きたいピアニストの日だが、自動車の練習に家人2がくるからやめておこう。
  みると、フレイレゼルキンなどがくる、と若干うれしくなるが、それは昨年からの一連のもので8月は去年の8月だった。つまり明後日はその連続的な有名ピアニストたちのコンサートの最後の日だった。うーん。
  ま、暇なときでも聴きに行く労力はないわけだから、いいとしよう。80歳になった俳優梅宮たつお先生はちょっとの段差でも転ぶらしいし。102歳なら段差などなくても、どこでも転ぶことができるはずだ。でも顔を30針も縫うのはいやだ。102歳なら40針くらいになる勘定か。月曜日には築地の三段の階段でつまずいて、おろしたての靴を少しだめにした。そんなことなら、3針くらい縫ったほうがよかった、、、か?