panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

流儀本

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 何とかの流儀という本が偶然家に複数あって、目についた。流儀で検索をかければいっぱい出てくるだろう。流儀へのあこがれというのがあるのかもしれない。

 高峰秀子については前に触れたが、小林秀雄、といっても知らない人も出ているだろう。高峰が戦後最大の女優なら、小林は戦後最大の文芸評論家である。ただし何を書いているのか昔からしばしば不明。この前亡くなった早稲田の文芸評論家と同じだが、その伝統を作った人で、その伝統とは、曖昧に書く、そもそも曖昧にしか思考できないという伝統か、と白洲次郎という大物二人の直系の孫(白洲姓)の書いた流儀本もある。

 清廉とか凛とするとか清貧とかきっぱりしているとか超俗とか、ま、いろいろ浮世の習いから身を遠ざけたいという日本人の古代!からの願望を今日的に、あるいは今日でも、追求したいという浮世の人々に訴えかけるものなのであるが、実践している身には浮世は雨期程度だし、せいれんといえばセイレン(ギリシアの女神?)程度の言葉にしか感じられないわけである。ふふふ。アホなことを書いたが、哄笑していただきたい。猪俣公章ではない。って誰って思っている人はまだましで、やはり人名である。

ようやく読む

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 ベストセラーになっているかもしれない。でもようやく読みだした。

 考えてみると、西洋とか西洋文明、文化に対して批判的でありつづけているが、でもそれが死んでしまうような状況がもしくるとすれば、それはやはりかなりまずい。

 そもそも現代日本の文明的基礎は西洋文明である。ベッドで起きてパンを食うなんて、戦前の日本人----相当西洋かぶれだったはずだが----でも想像できなかったであろう。

 なんで西洋文明が死ぬかというと、移民や難民の流入である。いうまでもなく。

 シュンペーターは資本主義の成功が資本主義の死を招くと論じた。資本主義の成功によって大学に入るその子弟たちは社会主義的教育を受けて、次には順次社会主義的施策を広めてゆくからである。

 むしろ現実に生じたのは、西洋的リベラリズムがその短期的経済利得と文化的寛容さのゆえに、文明の基礎をなし崩しにしてしまうという危機である。

 ま、そんな感じ。読むまでもなくわかるわけだが、読んでからでないと、ものもいえないので。でもせめて西洋文明の死だけでことが済めばいいのだがと日本人ポキは思うのであった。

まずい状況である

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 梅雨にも慣れた。こういつも曇って小雨も降っているというのも、活動を強いられないという意味では、反動員的状況ともいえ、これはこれで味わうべき環境かもしれない。

 ポキのデスクトップの液晶は縦置きである。しかしドクターX視聴以来、横に戻している。いまもそうだ。つまり、机の上ではいつも何か昔のテレビ番組が流れているのである。いまは、孤独のグルメ。テレビで見る分には、退屈でしょうがなかったので、ほぼ初見である。主人公に演技力があるわけではないので、テンポののろさが相変わらず足を引っ張るが、ま、こんなもんだろ、日本のテレビ番組。

 いずれにしても仕事の邪魔である。プライムビデオ。アマゾン。ナイル川でもミシシッピーでもない、アマゾン。みやぞんでもない。、、、うーん、書くだけ、損だった。

 なおこの写真からわかるように、高峰秀子は決して超美人ではない。むしろ二階堂ふみ似である。ということを、無責任他人顔面評論家として一言、申し上げた。 

ミニマリスト・ローホーと日本映画史最大の女優高峰秀子が似ている説

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 養女となった斉藤明美の書いた『高峰秀子の流儀』という昔の本があって、パラパラと読むのだが、なぜかというと、誰が考えてもきっと日本映画史上最大の女優の出生地が函館だからだ。

 母方のじいさんなら、高峰のじいさんのやっていた蕎麦屋料亭(?)には行ったことがあったに違いない。映画館もやっていたというのだが、昭和はじめの函館大火ですべて焼失したらしい。焼け出された家族10人近くを背負って、子役高峰秀子は苦労をするのであるが、それは有名な話ではないかと思う。子役時代だけでなく、彼女はずっと苦労するのだが、寄生するこの連中が湯水のように大女優の金を使うさまは、同じ道産子としてまったく愉快ではない。

 それにしても高峰秀子はまったく教育を受けていないのに、たくさんの著作を残し、かつ凛とした生き方が養女斉藤に記録されて、映画のなかだけでなく、永遠の命を与えられたことは慶賀としたい。

 むしろ教育の機会がありあまっていると勉強したいとは思わない、という逆説があるのかもしれない。高峰は小学校に1か月しか通わなかった人間なのだが、大学まできてまともな文章一つ綴れない人間もたくさんいるのだがなあ、昨今は。

 ともあれ、最近、家に増えているフランスのエッセイスト?ドミニック・ローホーと、高峰秀子はとても似ていることに、文章は綴れるが大学院まで出ているポキは、否が応でも気づくのである。ローホーの生き方の指針は京都人のそれである。

 先週の京都旅行は、そういう事情で行ってみたいとようやく思い、重い腰をあげたのである。重い腰ではあるが、腰は低くないポキは、当然、足は長い。論理的にそうなる。と脱線してどうなる?

 京都と函館が結びついたので、長年、嫌だった京都・関西旅行に出たのである。秋には奈良にも長い足を延ばす予定である。

 

この人だったかもしれない


シネマ紀行「砂のの」 撮影ロケ地を旅探訪

 京都の最後の日、雨の中、ポキはその日は一人で歩いていた。傘をさし、もっていった長靴で、靴下なしで。

 嵐電沿線の寺を歩いているときであった。等持院に入ろうとすると、入り口でテントが張ってあって、人だかりがあって、ポキとしては中に入れるのかと聞かずばとなるまいと思った。結局、入れるというのだが、歩きながら、それがマキノ省三没後90年の法要であることを知った。

 マキノは日本映画草創期の有名な監督である。だから、集まっている人の中に知っている人が、つまり顔は知っている人がいるかと思ってみても、誰も知らなかった。思えば、親戚筋の有名俳優たちは大半死んでいるわけで。朝丘雪路南田洋子も亡くなった。津川雅彦もその兄も鬼籍に入っている。

 だから誰も知ってる顔がないわけである。でも一人だけ泣いている女の人がいて、印象に残った。京都府や市の公人たちもきていて、次々用事を済ませて帰っていくのがやるせないものがあったなか、その目鼻立ちのはっきりした、しかし有名女優ではない、普通の人でもないような女の人の顔は覚えた。

 さっきヘンデルとレオのオペラ・リナルドYouTubeをみていて、だんだん派生していったさきにこの砂の器のがあり、映画の舞台を訪ねるという番組で、亀高駅も実際は別の駅を使っているとか、今度、いつか出雲に行くときには参考にしようとみていたら、案内人がその泣いていた人にそっくりだなあと思っていると、マキノ佐代子という名前が出てきた。おー、マキノ。やはりあのとき泣いていた人なのではないか。

 一般人のごく普通の顔だと思う。ゆえに女優としてもそうは大成しなかった人のようだが、この偶然を、しかも最近は全然人の顔を覚えきれない(昔は記憶の鬼だったのだが)ポキにとっては大きなこの経験を記しておきたいと思った次第。

 なおこのYouTubeは非常に参考になる。ご覧ください。

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 等持院の庭。

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2019年の後半、始まる

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 1日である。つまり、とうとう半分過ぎてしまった。あと半分は夏至もすぎて、陽の長さも短くなる。低成長時代の日本のようだ。しかし太陽は苛烈だし、梅雨はしばらく続くし、まことに苛烈な国である。

 昨日の夜、京都から戻った。高校時代以来の嵯峨野が体験できた。そもそも常寂光院が嵯峨野にあるわけで、それを何十年も大原かと思ったりしていて、とうとう謎が解けた。というよりも資料で確認すればいいだけだが、経験として、修学旅行の自由時間に行ったのは嵯峨野だった。そして天龍寺には行かなかったし、渡月橋もわたっていなかった。など成果?は大ありだった。

 それにしてもずっと晴天で、かつ蒸し暑いこと、おびただしい。嵯峨野のあたりは公家の別荘地だったというが、クーラーのない時代に、別荘といってもなあ。でも廊下が入り組んだ大きな屋敷(つまり寺院)なら、いい風も通ったに違いない。どれも庭は似ているが、はっきりいって感動的な庭ばかりだった。

 ということで京都がようやく気に入った。河原町を歩く(河原町だけではないが)人の8割は少なくとも中国人だったことを除けば(あとの1割は西洋人)、京都ってどこと比べても見劣りしない観光都市だということを確認した。

 

どこかにある、、、はず

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 この本は似たような題名のがいくつかあるのだが、たしかに持っていたと思う。探すが見つからない。音楽本は一か所にできるだけまとめているのだが。

 なお、中古でしか入手できないこの本、価格は50000円である。うーん。

一つわかったこと――週末の成果

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 アマゾン・プライムの仕組みがわかった。お急ぎ便で本がくるようになっている場合はこれを見ることができると昨日家人2から聞いた。そうだったのか。うんうん。

 もともとふとしたことで「トリック」からのスピンオフ「警部補矢部謙三」が面白くて(とくにその部下の国学院出身の俳優が)みることになり、大して種類が多くないので(ただのは。課金するつもりはまったくない)、ドクターXをたまたま見てみた。そして5シーズンだから50話くらいみたのだろうか。でその後、米倉の「ナサケの女」(1シーズンのみ)がすぐみつかったので見た。

 これは国税局査察部が舞台なので大学病院を舞台にしたドクターXと比べると、華やぎがなく、画面も相当暗い。出てくる人々も高卒が大卒をねたむ(税務は高校卒業者が強い)というもので、ハーバード医科大学とか東帝大とか西京大学とか慶明大学とかいったのが出てはこない。ということで、なんとなく貧乏くさいため、激しく米倉の普通をしのぐ超絶的な側面がいかせきれない。

 でその後喜劇「家政婦は見た」の米倉版を途中まで見(つまらないので途中放棄)、その他のドラマを流してみた結果、米倉涼子が出ないとつまらないということに気づいた。いま「ハンター」というのを発見したが、ますますそう思うのである。

 以上、米倉は山のようにドラマに出ていたことを知るとともに、米倉が出てくると、面白くなるという法則を発見した。リーガルドラマもあったが(「モンスターペアレント」)、小学校が舞台になっており、ゴージャス観がなく、米倉鑑賞のポイントである超人性と喜劇性が台無しになってしまう。やはりバリバリとカネに目のくらんだ大学病院などを舞台にやっていただきたい。

 ちなみに、ハンターではCAなのにしまいに場末の小料理屋に引っ越すことになってしまった(第1話)。これではなあ、、、、。でも、乞うご期待、を自分に課す。 

 なお、写真の二人は兄弟である。大原麗子は50代前半で亡くなった。これを基準にとると、口元の下がって、四角張った米倉涼子はやはり美人度が劣るというべきであるね。勝手ながら。というかまったく勝手だが。

全5シーズン、制覇

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  ようやく見終わった。ドクターX。実は第5シーズンは2017年の作品で、草刈正雄が悪役で出ていて、何話か管見したような記憶がある。でも全然全体の構図を知らないので、つまらないドラマとして脳内に位置付けられたわけであるが。米倉涼子も好きな女優ではなかったし。

 ともあれ、一話一話、いろいろ趣向が凝らされていて、かつ全編を貫く古典芸能のような共通分母もあり、読書しながら机上で鑑賞するには最適だった。途中何度も戻って事態を確認する愚をおかしたが、ま、こっちも鑑賞が仕事ではないもんで。

 ということで完全に見終わった。もう続編はないのだろうか。そして、CMがどれほどドラマの感興をそぐのかがわかった。

 アマゾンでさらに「ナサケの女」という米倉のドラマがあって、第1話のさわりをいま途中で止めているところ。タイにいたときのドラマ(2010年秋)で、ドクターXの2年前なので、まるっきり知らない。でもドクターXの前哨戦のような感じである。

 しかしこの米倉の目の大きさはすでにアニメかと思う。でも米倉君には幸せになってもらいたいと、全編鑑賞後のいまは思っている。ここからすぐでもないが、近いといえば近い高校の卒業生なのである。米倉は。かんぱれ。

依然、ドクターX

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 まだ大門未知子は終わらない。シーズン5まであるようだが、いまその第5話。パソコンで流しながら、本を読んでいるわけだが、集中できない。それほど集中しないとわからないわけでもないのだが。ドクターXが。

 というわけで、もう少しで終わらせたいと思う金曜日。